2022.11.09 カレリア小話 (2) 白樺文書とカレリア

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Terveh!
上映会まで2週間となりました。準備に追われてテンテコマイの昨夜、空を見上げると月が欠け始めていました。


「月食」はカレリア語で以下のように表します。
Kuunpimennyš [viena]
Kuudaman pimendys [livvi]


さて、上映会までお待ちいただく間にお届けするカレリア小話、今回はノヴゴロドの白樺文書についてのお話です。


20世紀のもっとも注目すべき考古学的発見の一つとも言われる白樺文書(Birch bark manuscript)は、中世のルーシの主要都市国家ノヴゴロドを中心に、当時の政治形態や司法制度、人々の営みを伝える貴重な考古学的資料として知られています。
その発見は、19551年7月26日、アルツィホフスキー教授率いる発掘調査隊が発見した小さく丸まった泥まみれの白樺樹皮から始まりました。歴史的発見の第1号となったボロボロの文書に書かれていたのは村名のリストと、それらの村の住人から支払われる貢租(貨幣や生産物)の記録でした。


翌日7月27日、新たに見つかった文書2号もやはり義務負担あるいは債務の記帳でしたが、第1号とは異なり貨幣や生産物ではなく、取り立てられているのは毛皮の量です。


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В Микуеве белая росомаха. У Фомы 3 куницы. У Мики 2 куницы. У Фомы в Сохудале (?) куница дара. [У] Вельяказа 4 куницы. На Гугмор-наволоке куница. У Мятешки 2 куницы. У Вельютовых 2 куницы. У Воземута 2 куницы. У Филиппа 2 куницы. У Наместа 2 белки. У Жидилы куница. На Великом Острове куница.

У Вихтимаса 2 белки. У Гостилы 2 куницы. У Вельюта 3 куницы. У Лопинкова 6 белок.

文書No.2:白樺文書データベースサイト(gramoty.ru/)
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ミクエフには白いクズリ1匹(の毛皮)がある。フォマはテン3匹を持っている。ミカがテン2匹。ソフダル(?)のフォマはテン1匹の寄付。ヴェリヤカズは4匹のテン。フフモル・ナヴォロクにはテン1匹があります。ミャテシュカは2匹分のテン。ヴェリユトフ家は2匹のテン。ヴォゼムトは2匹のテン。フィリップは2匹のテン。ナメストは2匹のリス。ジディラ家はテン1匹。ヴェリーキー・オストロヴァにはテン1匹がある。

ヴェリヤカザは2匹のリスを持っている。ゴスティール家はテン2匹。ヴェリユトはテン3匹。ロピンコフはリス6匹。

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列挙されている名前や地名から、負担を負っているのはカレリア人だと考えられています。
ノヴゴロドの領地はラドガ湖・オネガ湖の南部域まで広がっていました。
都市部に住んでいる者たちは貨幣を使用していたのに対し、辺境地であるカレリアでは毛皮で貢租を納めていたという記録ですね。
この時代は中央貴族たちが土地を管理し、辺境地の領民が寄こした毛皮やハチミツなどを輸出品として商人に卸し、交易を通して領内では手に入らない品を入手していました。


このように、白樺文書にはカレリアの地名やカレリア人だと思われる人名がちらほらと見られます。
白樺文書に記された人名は2007年時点で800未満、そのうち40~60の名がバルト・フィン人系の名称であると考えられており、特にカレリア人である可能性が言及されています(1)。


言語学者たちを興奮させた文書は、なんといっても1957年に発掘された文書292号。
キリル文字で書かれた古いカレリア語リッヴィ方言の呪文と思しきテキストは13世紀初期のものと考えられており、バルト・フィン諸語の現存するテキストとして最古のものと認められています。
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юмолануолиїнимижи
ноулисеханолиомобоу
юмоласоудьнииохови
文書No.292:白樺文書データベースサイト(gramoty.ru/)
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jumolanuoliïnimiži
noulisehanoliomobou
jumolasoud'niiohovi

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さまざまな研究者が現代カレリア語/フィンランド語への訳を試み、解釈もさまざまです。
各研究者の解釈と英訳は、以下wikipediaページ(EN)にてご覧ください。
Birch bark letter no. 292 - Wikipedia


もう一つ。
1960年に建設現場で偶然発見された文書403号は、少々変わっています。
先に紹介した文書2号のように貢租あるいは債務の記録が書かれた後、空いたスペースには2行並んだ単語のかたまりが散らばっています。
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(略)
соломо - гулкия
вели - кяски
кисело - хапала
церево - социлекохти
кюзувелекадониндалы
文書No.403:白樺文書データベースサイト(gramoty.ru/)
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(略)
soromo — gulkija
veli — kjaski
kiselo — hapala
cerevo - socilekohti
kjuzuvelekadonindaly
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おそらく、当時の古ロシア語-古バルト・フィン語の単語リストであったと考えられています。
貢租記録に記載された地名がカレリアを示していることから、これらの単語もカレリア語だと考えられていますが、実際に何という語であるかは未だ研究者たちの頭を悩ませています(2)。
我こそは…と思う方、ぜひ謎解きにチャレンジしてみて下さい。


さてカレリアには tuohiraamattu という語が伝わっており、カレリアで採取された口承伝統文化の中でしばしば見受けらていました。tuohi とは白樺の樹皮のこと。raamattu とは書付や手紙などの文書を意味する語です(現フィンランド語では「聖書」の意)。しかし1930年代には語彙は残っているものの、それが何を示すのか理解している人はほとんどいなかったようです。
唯一、1934年にロシア側カレリアの村の女性が「tuohiraamattu を読んでカレリアの古代宗教に関することを学んだ」という発言をしていますが、聞き取りを行ったフィンランド人民俗学者であるマルッティ・ハーヴィオは、真剣に取り上げず追加の調査などは行われなかったようです。


現在ではいくつかの古いことわざの中に残るのみですが、カレリアの村で日常的に白樺樹皮が紙代わりに使われていた可能性を示唆するエピソードです。
その樹皮に書かれていた文字は、ノヴゴロドの文書と同じくキリル文字だったのでしょうか?
それともラテン文字が流入していたのでしょうか…?気になりますね。


少し長くなってしまいましたが、今回はここまで。


それでは皆さん、お元気でお過ごしください!
Jiäkyä tervehekši!
Jiägiä tervehekse!



参考文献:
1)JANNE SAARIKIVI, Finnic Personal Names on Novgorod Birch Bark Documents, Helsinki, 2007
2) JOHANNA LAAKSO, Vielä kerran itämerensuomen vanhimmista muistomerkeistä, Virittäjä 4/1999


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